昔放送されていた某恋愛ドラマで、主役を演じている女優が自身の恋愛観を語るシーンを今でも鮮明に覚えている。「愛されるより愛したい」。男性から愛を注がれるのではなく、注ぎたい。受け身ではいたくないのだと。ドラマは大ヒット、そしてそのドラマの名台詞となったそれはその年の流行語大賞を受賞し、女性の恋愛観の一つとして度々語られるようになった。最近では「幸せにしてもらうより幸せにしたい」などという派生した謳い文句が存在する 程である。しかし、私はそれに異を唱えたい。私は愛されることこそが女の幸せだと思っている。一人の男性から生涯変わらぬことのない愛を一途に注がれ、享受する。まるで童話に登場する王子様に見初められ愛されるお姫様のように。私は私を愛してくれる人を求めていた。その愛を享受し、幸せしてもらうことを願っていた。理由は単純。そっちのほうが、ロマンチックだから。愛され幸せにしてもらうほうが、夢があると思わない?



「氷室はモテるねー。どうよ、毎回女の子フってる感想は?」



恋愛において、「愛されるより愛したい」という恋愛観と同様に、私が理解できない存在がいる。それはいわゆる肉食女子と呼ばれる存在。愛されることを理想とする私にとって、告白は男性からするものだと思っている。というか、してほしい。何度も言うけれどそっちのほうがロマンチックだからだ。自分から告白するなんて有り得ない。よくやるなあ、と半ば感心、半ば理解不能と思いながら、先程偶然出くわしてしまった、氷室が肉食女子からの告白をフったことについて少々嫌味たらしく問うてみる。



「嬉しいけど、その想いに応えられなくて申し訳ないっていう気持ちの方が強いかな」




肉食女子が告白の場所に選らんだ渡り廊下は風の通りがとてもよく、氷室は髪を靡かせながらモテる男の言い訳を口にした。心苦しそうに眉を寄せて、困ったような顔をする。そんな少々嫌味っぽい反応でさえも、綺麗で大人っぽい。少なくとも同学年には見えないくらいには。氷室といえば、そのルックスと少し陰のあるミステリアスな雰囲気が女子に大人気の正真正銘のモテ男である。全校NO.1人気といっても過言でもない氷室に告白をする強者がいるとは。恐るべし、肉食女子。氷室が告白「される」のは理解できるが、女の子が告白「しようとする」その心持ちが理解できない。やっぱり私は、告白「されたい」。
それはさておき、氷室には好きな人はいないのだろうか。こんなにモテておいて一人もOKを出さないのは、好きな人でもいるのだろうか。だとしたら、何故氷室はその人と付き合わないんだろう。氷室が落とせない女性がそこまでいるとは思えないのだが。そんな素朴な疑問が浮かんだところで、少しだけ目を細めて、でも、と氷室が切り出した。



「告白するってすごい勇気がいることだろう?オレは彼女を素直に尊敬するよ」
「氷室は告白しないの?好きな人は?」
「うーん、どうだろう。今はそういう人はいないけれど・・・は?」
「私は告白されたい派だからなー。今は好きな人いないけれど、いたとしてもしないと思う」
「へえ、どうして?」



う、と一瞬言葉に詰まる。仲の良い友人には打ち明けたが、「自分を好きになって告白してくれる人なんて待ってたらあっという間におばあちゃんだよ!」と見事な反論をくらってしまった私の恋愛観。まあ、待ってるだけなんて都合がよすぎるのは分かってるつもり、ではいる。同性でも認めてもらえなかったのに、異性の氷室に話したところでいい反応を得られないことは予測できる。ちらり、と氷室の顔を伺うと氷室は私が黙っているのを不思議そうに見つめていた。



「笑わない?」
「うん」
「・・・だってそっちのほうが、童話のお姫様みたいで夢見れるんだもん」
「・・・ふっ」
「あ!笑った!」
「ごめんごめん。馬鹿にしてるんじゃないよ。にも可愛いところあるんだなと思って」



可愛いって。思わず心の中で目の前のモテ男につっこむ。こういうことをさらっと言えてしまうからやっぱり氷室は憎い。だから、氷室はモテるのだと思う。外見はもちろんのこと、女の子がきゅんとするような対応も完璧。氷室は外見も、性格も、私が理想とするお姫様に告白する王子様なのだろう。あんな人に想われて、愛されて、幸せになるのが私の理想なのだろう。しかし、今までずっと氷室辰也という人間を見ていたが、何故か思ったよりも心惹かれることがなかった。



「じゃあの理想の相手はいるのか?こういう人に告白されたいとか」
「うーん・・・そうだな・・・」



何故、氷室に心惹かれないんだろうか考えていた。考えながら今まで氷室と関わってきて感じたことを思い返しながら氷室を見つめていたら、分かった気がした。分かった気がしたら、それは簡単に口から零れ落ちていた。



「私、氷室には告白されたいとは思わないなあ」
「酷いな。告白する前からオレは君にフられるのか?」
「今の氷室から告白されても嬉しくないと思う」
「どうして?」



氷室が怪訝そうに眉を顰める。上手く説明はできないけれど、氷室は私が理想とする童話の王子様ではなかった。お姫様に恋する王子様は、自信に満ち溢れていて、お姫様がついていきたくなるような強さがあった。王子様は、お姫様を射止めるためにいかに自分が勇敢で、男としてお姫様にふさわしいか自分を必死にアピールする。しかし、氷室にはそれがない。綺麗な笑顔を振りまいてはいるけれど、それがかえって相手と氷室の間に見えない壁を作っている。何か触れてほしくないものを隠すかのように、他人との距離を置いている。その壁の先の笑顔には、何を秘めているのか。手を伸ばして確かめようとしたら、壁と一緒に氷室も壊れてしまう、そんな儚さを時折感じるのだ。



「氷室ってさ、自分のこと好きじゃなさそうだもん」



氷室は何も言わない。雲が太陽を隠したのか、渡り廊下に差し込んでいた穏やかな日の光が途絶えた。辺りが少しだけ暗くなる。少し肌寒いような気がしたけれど、特に気にならなかった。考え思いついたことそのままに口に出す。



「自分が好きじゃないから、告白してくる女の子を好きになる自信がないとか」
「・・・・そう、なのかもしれないな」



ぽつり、と呟かれた氷室の言葉は、小さいのにも関わらずはっきりとした悲壮感があって、二人だけの空間に十分響き渡った。私ははっと我に返り氷室を見つめる。そこで私は初めて、この空間がこんなにも薄暗かったのだと気付いた。氷室はその薄暗い空間の中、悲しそうに笑っていた。それは思わず見惚れてしまいそうなほど綺麗だったけど、笑顔の裏に深い何かを隠しているのは一目瞭然だった。笑顔で隠し切れなかった負の感情が、ひしひしと氷室から伝わってくる。



「時々、自分がどうしたらいいのか分からなくなるときがあるよ。オレには目標があって、それをただひたすら目指せばいいだけなのに、その先がイメージできないんだ。自分がどこにいるのかも分からない。走っても走っても、暗闇が続くだけだ。先頭を走っていたつもりが、いつの間にか追い越されていたよ。なんとか追いつこうともがくけれど、どうしようもできないんだ」



寂しげに語る氷室はどこか遠くを見つめているようだった。寂しさの中に、ほんの少しだけ懐古の念も感じられる。しかし、唯一髪から覗く右目の先には、本当に暗闇しか映っていないのだろう。かろうじて唇は弧を描いてはいるけれど、それもただの自嘲に過ぎない。寂しげに立ち尽くす氷室の姿は、まるで路頭に迷う子どものようだった。手を差し伸べてあげないといけない、と直感的に脳に指令が走っても、触れたら消えてしまうんじゃないか、という脆さを感じさせた。当初はただの勘に過ぎなかったものが、少しずつ確信に変わっていく実感に、私までどうしたらいいのか分からずにただ氷室を見つめた。



「すまない、君にこんな話をすべきではなかったね。忘れてくれ」



二人の間に沈黙が訪れたとき、さっきまでの震えた弱気な声が嘘かのように凛として氷室は告げた。今までのことなどなかったかのように。そのギャップに思わず反応が一瞬遅れる。その隙に氷室は逃げるように私に背を向け、声を掛ける暇もなくどこかへ行ってしまった。待って、ともう一人の私の声が脳内で響いたけれどその声に瞬時に従うほど私は冷静ではなかった。



「もしかして、地雷踏んだ・・・・?」




私以外誰もいない渡り廊下で、ようやく状況理解が追い付いた私の一言が、やけに響いた。いつの間にか、雲が空全体を覆っていた。



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あれから、一週間一言も氷室と話していない。氷室はクラスでも目立つ存在だから、今まででも彼の姿が視界に入ることはよくあった。しかし、私は今までにないほど意識的に氷室の一つ一つの動作から表情の変化まで目で追っていた。綺麗な笑顔も、優しい声音も、彼の心の内を知ってしまった私からは全部無機的にしか感じなかった。


放課後、勝手に足が体育館へと動いていた。中を覗くと、氷室が一人でシュート練習をしていた。何本も何本もボールが弧を描いてネットに吸い込まれるように入っていく。純粋に、綺麗だと思った。弧を描くボールの軌道も、ボールを放つ氷室のフォームも、全て綺麗だった。ボールが指先を離れるその瞬間まで目で追ってしまう。綺麗だけれど、黙々とシュートを打ち続け時折乱暴に汗を拭う氷室の姿は、何かに追いつこうと、縋りつこうと必死になっているようにも見えて、心が痛んだ。

ふと、氷室がこちらを向いた。目が合うと、氷室は一度目を見開いて気まずそうに目を反らした。その反応が少し悲しかったけど、私は意を決して体育館に足を踏み入れ氷室の元へ歩いていく。



「氷室」
「・・・何だい?」
「この前は、ごめん」
「何のことだ?」
「とぼけないでよ」
「・・・忘れてくれと言っただろう」
「あんな辛そうな顔で言われて、ハイそうですかって終われるわけないでしょ」
はオレみたいな男は嫌いなんだろ」
「嫌いなんて言ってないよ!!むしろ、好きだよ!!」



予想外に大声が出て、今まで目を合わさなかった氷室が驚いたように私を見た。私も自分の大声と、その発言に一瞬思考が停止した。私は今何を叫んだ?必死に思い返そうとしても、脳内を巡るのは氷室の笑顔、言葉、シュートを打つ姿だけ。しかし、不思議と頭も気持ちも落ち着いてきていた。未だに驚いたように私を見つめる氷室の顔を真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。



「私、氷室のこと嫌いじゃないよ。必死に頑張ってるところ、嫌いじゃないよ」
「・・・本当にそう思っているのか?みっともないと思ってるんじゃないのか。あんな弱音を吐いて、それでも諦めれずに必死に縋りついて、」
「氷室」


だんだんと息遣いが荒くなっていく氷室を宥めるかのように、私は氷室のを呼んだ。私を見つめる氷室の右目は揺れていた。自分はまだやれると信じたい気持ち、やれるはずだと自分自身を鼓舞する気持ちと、それに対する不信感と劣等感。相反する感情が見え隠れする。私はたまらなくなって、氷室のボールを持つ両手をそっと包み込んだ。氷室が一瞬体を震わす。ひんやりと冷たくて何本もボールを放ってきたとは思えない程綺麗な手だった。氷室は一体、どれだけのボールにどれほどの想いを乗せて放ったのだろう。そんなことを考えると、胸が痛むけれど、同時に愛しい気持ちも溢れ出す。今までずっとモテ男としてしか認識していなかった氷室の、脆くて、人間臭い部分。可愛いなんて思ってしまうのは、失礼だろうか。それでも以前よりずっと、親近感が湧く。



「私は氷室みたいに何かに一生懸命になったことないし、馬鹿だし、氷室の気持ちを分かってるなんてことは言わない。でも、私、氷室が好き。氷室が嫌いな氷室も、全部好き」
「・・・は告白されたい派なんじゃなかったのか」
「仕方ないでしょ、好きになっちゃったんだもん。それに、厳密に言うと、私は愛されたい女なの。だ
からさ、ね、氷室」



氷室の手を少しだけ握ると、今まで氷室の手が掴んでいたボールが私たちの間に落ちた。ごん、ごん、ごん、ボールが弾む音がだんだん小さくなり、床を転がっていく。私たちはお互い向き合って手を繋いでいるような格好になった。物憂げな表情を浮かべる氷室を見上げ、氷室の目を真っ直ぐ見つめて口を開く。



「私が氷室を愛してあげるから、氷室は私を愛しなさい」



誰もいない体育館に、私の堂々とした声が響いた。数秒後、氷室がふっ、と小さく笑みを漏らした。そして困ったように少しだけ目を細めて笑う。たったそれだけなのに、私の心はとても温かい気持ちになる。



「随分強引な告白だな」
「こうやって言わないと、氷室は自分のこと好きにならないでしょ。自分のこと好きになれないって、悲しいよ。不幸だよ」



「・・・・、オレは」
「大丈夫」



僅かに震えた氷室の手を、私は更に握り締めた。震えそのものを抑え込むかのように。氷室の目を見て、ただ、想いを届けたくて、語り掛ける。



「私は、氷室の全部が好きだよ。だから、もっと、自信持ってよ。氷室はかっこいいよ。自分のこと、もっと愛してあげてよ」



私の必死さに気圧されたのか、氷室は数回瞳を揺らした後、一度目を閉じた。そして次に私の目を見た氷室の目は、今まで私が見た中で一番綺麗な黒曜石の色をしていた。そして、困惑したような、呆れたような笑みを浮かべて、まるで眩しいものでもみるかのように目を細める。



「・・・女性にここまで言われちゃ、男として黙ってられないな」
「じゃあ、一つお願いしてもいい?」



自分がまるで悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべていることが分かった。私は氷室を愛したい。でも愛されたい。そのうえ、更にこんな要求をするなんて、どれだけ欲張りなんだろう。それでもやっぱり、私の憧れはいつだって変わらない。女の子は、夢見がちな生き物なんだから。




幸せにするから幸せにして




次の瞬間、私は氷室の腕の中に閉じ込められていた。まるで子供が母親にしがみつくかのように、氷室はしっかりと私を抱き締めていた。背中に腕が回され、肩に顔を埋められて少しくすぐったい。氷室の腕の中はあのひんやりした手の持ち主とは思えない程温かくて、心地よかった。力いっぱい抱きしめられているはずなのに痛さも窮屈さも何も感じない。ただ分かるのは、氷室がここにいるということ。壁の向こう側で一緒に崩れてしまいそうだった氷室が、ここにいる。氷室の存在を確かめるかのように私も腕を伸ばし、氷室の広い背中にしっかりと指を這わせた。暫くした後、氷室が私の腕を掴んでゆっくりと自分と引き離す。お互いの顔を見つめ合う。今まで初めて、そして一番穏やかな笑みを浮かべて氷室は嬉しそうに口を開いた。



「お安い御用だよ。お姫様」



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14.07.19

企画「かわいくなりたい!」様へ。ありがとうございました!